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東京で服のデザインや企画をしていましたが、コロナ禍に故郷にUターン。行く先を模索する中で写真で故郷に恩返ししようと決心。さて、これからの物語は...お楽しみに!

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ただいま、石川

​石川で生まれ、高校までを暮らしました。小中高で使っていたのは写ルンです。県外に出てからは「写真はみんなやっとるから」という理由でやりませんでした。狭い世界しか見ていなかった。それに天邪鬼だった。でも、「やっぱり写真をやりたい」と心が疼き、結局カメラを買いました。さらに数年後の2023年、地元に戻って暮らしていた僕は、自分の撮るべき写真を見つけます。故郷だからこそ撮れる写真。そこで僕は思い出します。夕暮れ時に近所の川で写真を撮る小学生のことを。少年はシャッターを切るときに思っていました。「ここはなんと良いとこやあ。」 あの頃から僕は能登に魅了されていました。

「​いつかって今やろ」

2020年5月

2020年7月

2023年

2024年1月1日

東京で服のデザインや企画をしていた頃、新型コロナウィルスが蔓延しました。そして、1度目の緊急事態宣言下で父方・母方のばあちゃん2人を立て続けに亡くします。その頃は厳しい状況だったので、東京からは出ず、葬儀にも出られませんでした。共働きの家庭でばあちゃん子だった僕にとって、最初に意識した"人の死"は、ばあちゃんの死でした。だから、幼い僕には「ばあちゃんの葬式には絶対出るんや!」という謎の自信がありました。そんな"夢"を絶たれ、「なんで東京におるんやろ?」と疑問に思うようになります。そして、「いつかは石川に帰りたい」と前々から思っていた自分自身にも疑問を抱きました。「いつかっていつ?」 行動に移せばいつでもできることを、思うだけだった自分に腹が立ちました。

​石川での暮らしが再スタート。古着の撮影をしながら、配信をしたり絵を描いてみたり、いろいろ模索をしました。もちろん写真も撮っていました。「写真で何かできたら」とも思っていました。そんな時、近所の人にその話をしたところ返ってきた言葉が、「夢だけじゃ食っていけんからなぁ。」 めちゃくちゃムカつきました。でも、家に帰ってから不思議になりました。「なんでこんなにムカついてるんやろ?」 よくよく考えてみると、図星だったのです。僕にあるのは夢だけでした。

そこで一つ気づきます。「夢だけじゃなきゃいいんや。」 最初は夢だけだとしても、そこに努力やアイデアや人づてなど、いろんなことを結びつけて積み上げて、夢だけじゃないようにすればいいんやと思いました。その気づきの後には、それができそうなテーマを見つけます。今は写真に集中するために、生活のための仕事は写真から切り離し、コンビニ夜勤にしました。バイトはずっと辞められないかもしれません。それでも僕は、写真を撮りたい。

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Copyright © 2023 Ota Takahiko
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